この社会の成り立ちについて考えること。
こんにちは。
今一番欲しいものは、「冒頭の掴み挨拶のネタ」であるしょうざんです。
もっと面白い人間になります!!(いや、そこじゃない)
本日は、「この社会の成り立ちについて考えること。」という、なんとも社会科教員を目指す者らしいテーマです。(自分で言うな)
今回は、上記のテーマで最近考えることをアウトプットさせていただきます。
ちなみに、最近読んだ本でおすすめなのがこちらです。(脈絡のなさが売り)
社会には、、、、、、
この社会には様々な人が住んでいます。
そして、様々な課題が点在していますよね。
気候変動や人種差別問題、テロや飢餓など様々です。
人々は、人類共通のこのような課題に正面から向き合っています。
このような中、「社会の成り立ち」という観点からすると、様々な問題に「当事者意識」をもって取り組んでいらっしゃる人が数多くいます。そのような方が素晴らしいことは言うまでもありません。
ただ、みんながみんな「当事者意識」を持ってしまうとどうなってしまうのでしょうか。
ある課題に対して、冷めた目で合理的に物事を考える人は必要ないのでしょうか。
すなわち、この社会は、「当事者意識をもって主体的に課題に立ち向かう人」「外野から冷めた目で物事を冷静に考える人」「そもそも課題に関心がない人」など、様々な構成員から成り立っていると言うことです。
そして、そのような構成員である様々な人は、それぞれが自分の役割を担っています。
先ほどの例で表すと、みんながみんなある課題の当事者となってしまうと、「万人の万人による闘争」が起こってしまうでしょう。
(*「万人の万人による闘争」とは、言い換えると、大勢の人同士の争いを意味します)
しかし、「冷めた目で合理的に物事を考えている人」が一定数いるからこそ、バランスがとれているのしょう。
社会は構成員である「人」が様々な役割を担っているからこそ成り立っているというのが、最近の考えです。
だからこそ、社会には様々な人がいていいですし、いるべきだと思います。
社会の成り立ちを考えることはとても楽しいことだと考えています♪
本日は、「この社会の成り立ちについて考えること。」というテーマでした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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