日常の何気なさにどれだけ心を動かせるか。
こんにちは。
いよいよ4月がスタートしましたね。
桜の季節になりました。
↓大学の桜が綺麗でした。
詩を味わう〜長田弘さんの「世界はうつくしいと」〜
長田弘さんの「世界はうつくしいと」という詩を読んでみて、日常の何気ないことに心を動かす大切さを感じました。以下、「世界はうつくしいと」です。
「うつくしいものの話をしよう。
いつからだろう。ふと気がつくと、
うつくしいということばを、ためらわず
口にすることを、誰もしなくなった。
そうしてわたしたちの会話は貧しくなった。
うつくしいものをうつくしいと言おう。
風の匂いはうつくしいと。
渓谷の石を伝わってゆく流れはうつくしいと。
午後の草に落ちている雲の影はうつくしいと。
遠くの低い山並みの静けさはうつくしいと。
きらめく川辺の光りはうつくしいと。
おおきな樹のある街の通りはうつくしいと。
行き交いの、なにげない挨拶はうつくしいと。
花々があって、奥行きのある路地はうつくしいと。
雨の日の、家々の屋根の色はうつくしいと。
太い枝を空いっぱいにひろげる晩秋の古寺の、大銀杏はうつくしいと。
冬がくるまえの、曇り日の、南天の、小さな朱い実はうつくしいと。
コムラサキの、実のむらさきはうつくしいと。
過ぎてゆく季節はうつくしいと。
きれいに老いてゆく人の姿はうつくしいと。
一体、ニュースとよばれる日々の破片が、
わたしたちの歴史と言うようなものだろうか。
あざやかな毎日こそ、わたしたちの価値だ。
うつくしいものをうつくしいと言おう。
幼い猫とあそぶ一刻はうつくしいと。
シュロの枝を燃やして、灰にして、撒く。
何ひとつ永遠なんてなく、いつか
すべて塵にかえるのだから、世界はうつくしいと。」
よく、「小さな幸せに気づけない人が大きな幸せは手に入れられない」といった言葉を聞きますが、これは真理だと思います。
日常の何気ない風景や出来事に思いを馳せる。
何気なさに幸せが宿っていることを改めて感じられた、そのような詩でした。